1997年11月3日、会社更生法の適用を申請。戦後初の証券会社の倒産である。
この証券会社にとって、致命傷となったのは、債務保証先でもあるノンバンクの不動産関連融資だった。
融資の多くが不良債権化していたが、この証券会社自身がバブル期に行った積極投資が諸刃になり、子会社を処分する事は事実上不可能になっていた。
そして、市場の好転を期待して雪だるま式に債務が膨張し、いたずらに決断を先送りした。
1994年3月17日、大蔵省証券局主導の下、再建9年計画が策定された。
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